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地域ディレクトリ愛知ポイント 愛知県名古屋市の情報
名古屋コンシェルジュ 神話の世界から近世武家文化へと、歴史の舞台を彩る地
この地を舞台に活躍し、天下統一を夢見た信長、秀吉、家康の三英傑。
そして名古屋城がつくられて400年、近世武家文化を花開かせました。
今日でも、名古屋城、徳川園などといった近世武家文化を感じることができる文化が名古屋には多く残されています。
名古屋を中心とした地域では数々の歴史ドラマが展開されてきました。熱田神宮には日本の神話、伝説に登場する日本武尊が持っていたとされる草薙御劔が納められています。その近くには、鎌倉幕府を開いた源頼朝が生まれたとされる場所があります。戦国時代に日本を統一へと導いていった織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった武将はいずれもこの地域と深い関わりをもち、三英傑と呼ばれて親しまれています。
現在の名古屋の街はいまから400年前の慶長15年(1610)に始まります。徳川家康がそれまで清須にあった町をこの地へ丸ごと移転、金の鯱が輝く天守閣、碁盤割に整備された家並みなどが整備されました。それ以来、街は大きく発展し続け、花開いた武家文化などの遺産が残されています。...詳細
名古屋コンシェルジュ 城下を中心にはじめられたものづくり、そしていま宇宙へ
名古屋城の築城とともに城下町がつくられ、多くの職人が集まり名古屋のものづくり技術、産業が始まりました。
その技術は、近代産業へと受け継がれ、日本の未来を導く産業都市として今なお発展を続けています。
江戸と京・大阪の間に位置して、古来より交通の要衝でもあった名古屋。肥沃な濃尾平野や豊かな海の幸に恵まれた伊勢湾、そして木曽川の上流から供給される良質な木材資源。名古屋は町がつくられたときから発展する可能性を持った場所だったのです。しかも徳川家の強大な力を背景に築かれた名古屋城。復元計画が進められている本丸御殿は近世城郭御殿の最高傑作といわれていました。街ができれば様々な職人が集まり腕を競います。そして和時計の技術はからくり人形づくりに応用され、その技術は日本が近代国家の仲間入りをしてからも、近代産業に応用されていきました。
こうして受け継がれたものづくりの技術と精神は、いまや航空宇宙産業、輸送器機、ファインセラミックスなど日本の未来を導く産業都市として発展を続けています。...詳細
名古屋コンシェルジュ よりおいしいものを求め、名古屋ならではの味
恵まれた気候風土がもたらす豊富な食材、おいしい味を求める探究心は、独自の食文化へとつながりました。
味噌煮込み、味噌カツ、ひつまぶし、手羽先、あんかけスパなどは、「名古屋めし」の代表であり、全国的に知られるようになりました。
名古屋の味の代表の一つに赤味噌があります。大豆を使い、米味噌や麦味噌よりも時間をかけてじっくりと熟成させるため、見た目は決していいとはいえませんが、味も香りもすばらしい逸品です。この地が古来より豊富な農産物や魚介類に恵まれていたため、時間をかけて熟成させるゆとりがあったのです。
一級の食材ともいえる赤味噌は、うどんやトンカツなど様々な料理にもよく合い、他所ではあまり見ることのできない味噌を使った料理が発達しました。さらに東京と大阪の中間に位置するため、東西の食文化の融合も行われ、おいしいものであれば取り入れられていきました。だから他の地域では試みられることのないような組み合わせも行われるのです。ひつまぶし、天むす、あんかけスパゲティ、小倉トーストなど名古屋だからこそ考案できた食だといえるでしょう。...詳細
名古屋コンシェルジュ 名古屋のあんな話、こんな話
名古屋の人ならわかる「あんな話」から、意外と知られていない「こんな話」まで、名古屋の小さなトピックスを集めました。これであなたも名古屋通!...詳細
名古屋コンシェルジュ 名古屋ではコレを観ておこう!
名古屋に来たら、ぜひここは観てほしい!定番スポットと人気スポットをご紹介します。...詳細
 

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ひつまぶしに、手羽先に、名古屋嬢の名古屋巻きにと、独特な文化を持つ街・名古屋。All About名古屋では、そんな名古屋の実態から、旅行のオススメスポット(B級スポット含む!)まで、幅広くご紹介。名古屋のことなら、まずは、ここ!

名古屋にあるレストランを一般ユーザーの口コミをもとに集計した様々なグルメランキングから探すことができます。美味しいレストランや、人気のレストランが簡単に見つかります!

JR西日本の時刻・運賃検索や駅情報・路線図、車両案内など、鉄道に関するご案内です。

船舶入出港情報をはじめ、観光・レジャー情報、港湾情報、防災情報、名古屋港紹介、ビジネスユーザーへの情報などを提供。

名古屋まつりは、名古屋の秋を彩る最大の祭です。まつりのメインとなる豪華絢爛な行列では、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑が約650人を従えて行進する郷土英傑行列のほか、歴史と伝統に彩られた市指定文化財「山車」揃や市文化財「神楽」揃、華やかなフラワーカーなども登場します。

名古屋の2大マラソンがひとつになるランニングの祭典

チケット情報や相撲観戦情報も充実。

 

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(順不同)
名古屋市は日本の真ん中、愛知県西部に位置し、1610年に徳川家康が清須から町ごとすべてをこの地に移した「清須越し」により町の歴史がスタートしました。
 尾張徳川家のもとでものづくりが盛んとなり、「日本のものづくりの中心」として近代に至り、工業都市としての礎が築かれました。
また、最近では特長ある郷土料理が「なごやめし」として脚光を浴びています。
 東西の都に挟まれ、独特の進化を遂げた「なごやめし」を食べることが、今では名古屋を訪れる人の一番の楽しみになっていたりします。

名古屋市は、本州中央部の濃尾平野に位置し、伊勢湾に南面しています。面積は326.43平方キロメートル、緩やかな東高西低の地勢です。
 市域の北から南にかけては庄内川が、東から南にかけては天白川が流れ、伊勢湾にそそいでいます。また、市の中心部には、名古屋城築城の際に開削された運河−堀川−が、台地のすそに沿って南北に通じています。
 名古屋市の地形は、東部の丘陵地、中央部の台地、北・西・南部の沖積地の、大きく3つに分かれます。  東部(守山・千種・名東・天白・緑区)は、市域の東北端にあたる東谷山(198.3m)を最高所として、標高50〜100m程のなだらかな丘陵が続き、三河の山地につながっています。この地域は、猿投山の花崗岩が風化してできた良質の粘土を産することから、古墳時代から鎌倉時代の初めにかけては、一大窯業生産地を産み出しました。地質は、新生代第3紀層の安定した地盤であるため開発も進み、現在では、住居地あるいは文教地区となっています。

 市の中央部(中・東・昭和・瑞穂区と南・熱田区の一部)は、北から南にかけてなだらかに傾斜する、標高10〜15m程の平坦な台地に立地しています。
この台地は、山崎川や精進川などの河川による開析作用などで、名古屋・熱田・瑞穂などいくつかの台地に分かれ、さらに浸食作用による小さな谷が入り込んでいるため、複雑なようすを示しています。
台地上には、原始時代以降の人々の生活の痕跡が認められ、特に弥生・古墳時代の遺跡が数多く分布しています。台地の南方一帯は、古代には干潟のような景観だったらしく、高市黒人の「桜田へ 鶴(たづ)鳴き渡る 年魚市潟(あゆちがた) 汐干にけらし 鶴(たづ) 鳴き渡る」という歌が『万葉集』におさめられています。また、江戸時代には、伊勢湾が内田橋あたりまで入り込み、熱田の宮宿は桑名との海上交通−七里の渡し−の港として賑わっていました。
 台地は新生代第4紀の洪積層で、地盤も安定しているため、商業・住宅地としてさかえ、中心部では再開発が進められています。

 北・西・南部(北・西・中村・中川・港区と熱田・南区の一部)は、河川の堆積作用によって形成された沖積地で、最も低い所で海抜−1.73mです。地盤沈下は、昭和40年代と比べ、現在では沈静化の方向にあります。気候の変化による海水面の低下と、干拓事業などにより、現在の海岸線が形成されました。この地域は、伊勢湾台風の折、甚大な被害があったように、洪水の危険や排水の苦労があるものの、水利はよいため、稲作を主とする農業地帯として発展し、古代から中世にかけては、「安食(あじき)荘・富田荘」という荘園もありました。干拓事業が活発になるのは江戸時代になってからで、国道1号線より南の一帯は、水田として開発されました。
 市域の北・西部の低地では、高燥な自然堤防を選んで集落が営まれましたが、市の人口増加とともに市街地化が進み、工業用地確保のための埋立も行われ、名古屋港付近は工業地帯となっています。

明治22年10月1日市制施行後、同40年に熱田町を編入し一躍人口、面積が増加したため翌41年4月1日に全市を東、西、中、南に分けて区役所を設置しました。
 昭和12年3月に隣接3ヵ町村編入を機に近代都市としての能率化を図るため、同年10月に新しく6区を増し、全市域を千種、東、西、中村、中、昭和、熱田、中川、港、南の10区に、さらに昭和19年に北、栄、瑞穂の3区を増区し13区となりましたが、戦災により焦土と化した中、栄の両区を合併し12区に減区しました。昭和30年千種区に猪高村を、昭和区に天白村を、北区に楠村を、西区に山田村を、中川区に富田町を、港区に南陽町を編入。昭和38年守山市、鳴海町を編入し、守山区と緑区とし、翌39年12月緑区に有松町、大高町を編入。次いで昭和50年2月千種区、昭和区を分区し名東区、天白区を設け、全市を16区としました。
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