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(順不同)
 刈谷市は愛知県のほぼ中央に位置し、西三河平野西部にある衣浦湾へ注ぐ逢妻川の下流に面しています。市の中央部には最先端技術を駆使した自動車関連産業の工場が並び、活気に満ちあふれています。また、伊勢湾岸自動車道の刈谷パーキングエリアと岩ケ池公園を一体的に整備した刈谷ハイウェイオアシスは、連日多くの人でにぎわっています。
 古くは刈谷城の城下町として栄え、明治維新のさきがけ・天誅組の総裁松本奎堂や志士宍戸弥四郎、近代では、フェライトの父加藤与五郎など、時代の先駆けとなる多くの人材を輩出してきました。また、国の天然記念物に指定されたカキツバタ群落で有名な小堤西池や緑豊かな洲原公園など、美しい自然環境も守られています。
 このような長い歴史の中で、刈谷市は産業と文化が調和したものづくりのまちとして飛躍的に発展してきました。先人の創意工夫とたゆみない努力を受け継ぎ、将来にわたり持続可能な地域社会を形成するため、市民・企業・行政が共に支えあう「共存・協働のまちづくり」を推進し、本市の最上位計画で掲げている将来都市像「人が輝く 安心快適な産業文化都市」の実現を目指します。

刈谷市域には本刈谷貝塚、八ツ崎貝塚をはじめ多くの遺跡が存在するように縄文時代には、本市の三大河川、逢妻川、境川、猿渡川の周辺に人々が住んでいたことがわかります。 刈谷市が都市形態をとり始めたのは、天文2年(1533)水野氏が刈谷城を築いてからです。
 その後、刈谷藩の成立により、水野、水野(分家)、松平(深溝)、松平(久松)、稲垣、阿部、本多、三浦、土井の諸氏に引き継がれ、藩の家臣団及び商工の町人とによって構成された城下町として発展してきましたが、廃藩置県という明治維新の変革により刈谷藩は廃止され、新たな発展をみます。
 明治21年に東海道本線が開通し刈谷駅が設置され、大正3年の三河鉄道(現名鉄三河線)の開通により次第に名古屋圏内に入り、もっぱら周辺の消費的経済をまかなう地方商業都市となりました。 そして、大正の末期から昭和のはじめにかけて豊田系企業の工場誘致により新興工業都市として栄えることになり、地方商業都市としての地位を保持しつつ経済圏を拡大しました。
 昭和25年4月に県下で11番目の市として市制を施行し、ここに人口30,868人の「刈谷市」が誕生しました。
 昭和30年4月には、碧海郡依佐美村の一部、富士松村の両村を合併して現在の市域になりました。
 その後、高度経済成長とモータリゼーションの進展とが相まって、自動車関連産業の集積地として飛躍的な発展をとげた本市は、愛知県の経済発展の先駆的役割を果たすとともに、世界的な産業技術首都をめざす愛知県の中核都市として重要な地位を確保し、現在では市民福祉の充実をはかり、15万人都市としての風格を整え、“〜人が輝く 安心快適な産業文化都市〜”として着実に歩んでいます。
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